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野宿の匠 吉井本家(中野屋)火打ち金 短冊形 丹尺2.5号1セット2枚入り【火起こし ファイヤースターター ヒロシちゃんねる 火打金 キャンプスミス CAMP SMITH キャンプ】

・商品説明  Flint Strike Steel of Traditional Jpanese 火打金は着火の打撃テストを何回も行っていますので、初めから傷が付いています。

江戸時代は火打金職人が手造りで一つひとつ「たたき」・「なまし」て作っていましたが、今は野鍛治の職人はいても、火打金職人はいません。

そのためプレスで切り抜き加工をしています。

しかし原料となる鉄だけは今でも「たたら製鉄方」で製鉄されています。

下は伊勢公一商店のたたらの釜です。

1セット2枚入り CPT-Y00000アカデミーキャンプキット、 CPT-Y00001サバイバルキットや CPT-Y00002股旅キット でミニマルにまとめたキットについている丹尺2号です。

丹尺型(短冊型)の火打ち金は現在5種類の大きさのものが製造されています。

使い易さは火打金は大きければ大きいほど、鉄の削れる面積が大きいので、火口に種火が付きやすいです。

小さいほど着火の難易度は増します。

■丹尺2号はコチラからお買上げ下さい。

■丹尺2.5号はコチラからお買上げ下さい。

■丹尺3号はコチラからお買上げ下さい。

■丹尺3.5号はコチラからお買上げ下さい。

■丹尺4号はコチラからお買上げ下さい。

■火打金の出現 今から約2000年前頃、弥生時代に大陸から鉄の製品が伝わってきました。

火打金の使用は発掘出土資料から古墳時代後期(7世紀頃)の事例が発見 さています。

吉井町で火打金が確実に使用され始めるのは、平安時代(9世紀)に入ってからです。

形は横長三角形の山型です。

■江戸時代以降の火打金 江戸時代に入ると機能別火打金の種類が増加します。

一つはカスガイ形と呼ばれるタイプのもので、木板に鉄の突出した部分を打ちつけた火打金です。

これは蒸し炭(消し炭)の入る火打箱と一緒に一般家庭で使用されました。

下の写真は「あかりの資料館」の実物です。

他に短冊形と呼ばれる柄の付かない火打金が出現しました。

これは用途に応じて大中小の種類があります。

また前代からある山形は、三角の裾部を細くねじり上げて頂部で結んだネジリ形と呼ばれるタイプが新たに出現します。

短冊形やネジリ形は2、3cmの小型品が多く、 道中の旅人が持ち歩く際の携帯用火打金としてしようされていました。

下の写真は、150年前の吉井本家のねじり型火打ち金です。

私のコレクションです。

火打ち金には鏨(たがね)で「本吉井」の文字が刻まれています。

江戸時代の火打金には、カスガイの柄部に焼印や鋼部に鏨銘(たがねめい)を入れたものが多く、これから生産地を特定できます。

中でも「上州吉井」の銘が圧倒的に多く、高崎市吉井町が火打金の特産地であったことが確認できます。

■吉井宿と火打金 高崎市吉井町の中央を東西に走行する国道254号線は、江戸時代は埼玉県本庄から中仙道と分かれる脇往還(わきおうかん=裏街道) として栄えました。

別名「姫街道(ひめかいどう)」と呼ばれ、取締りの厳しい中仙道の碓氷峠の関所を避け、信州へ向かう旅人、 商人、善光寺詣りに行く一般の人々に多く利用されました。

本庄宿→藤岡宿→吉井宿→富岡宿→下仁田宿→本宿→和美峠のルート (現在の国道254)となります。

吉井宿では市場として賑わいました。

宿の特産物として中でも火打金は有名で、全国にその名を誇っていました。

吉井の火打金の始まりについては、江戸時代初頭武田信玄の配下の子孫「近江守助直」という刀鍛冶人が火打鎌を作ったといわれてい ます。

江戸時代後期の風土記「多胡砂子」や「守貞漫稿」などに当時の好評判が記されています。

その流れを受け継ぐものが町内に 多く産まれました。

福島家、岡田家、横田家など他にも火打金職人・鍛冶職人・鍬柄職人らが数十人いたことがわかっています。

姫街道を利用する人々が「吉井宿」で道中土産「火打金」を買い求め江戸では西の「明珍」東の「吉井」と呼ばれるほどにまで 江戸では評判となりました。

下の写真は「あかりの資料館」の京都「明珍」のカスガイ型火打金です。

特に中野屋一族の製品はブランド品で、鋼に「上州吉井中野屋孫三郎」「上州吉井中野屋女作一」などと刻まれ、木柄の部分に 「吉井本家請合」などの焼印をする特徴があります。

全国各地で人気を博しました。

しかし明治8年の吉井町物産調べには火打金製造数、 70,853丁の記録が残っています。

しかしその頃からマッチの国産化により消費が落ち、明治30年頃を境に製造が中止されました。

キャンプ愛好家の中で火打金による火おこしが増えています。

特にサバイバルキャンプや ソロキャンパーのニーズは非常に高いです。

しかし現在主流となっている道具は、当店でも取扱っているLIGHT MY FIREの ファイヤースターターキットやブッシュクラフトのキットで火打ち金は海外の仕様。

火打石となるものは、すべてマグネシュウムで造られており、ナイフでマグネシウムを打撃し、マグネシウムから火花が大量にでます。

マグネシウムはすぐに磨耗し減ります。

野宿の匠のキットは江戸時代から昭和の初めまで400年間、庶民の間で続いた、日本古来の伝統的着火方法です。

日本古来の火花式着火方法は、火打石で火打金を削るので、西欧から入ってきた方法と全く逆です。

そして火花はたった一粒火口に 落ちれば火種ができます。

火花から火種へ 火口(ほくち)とは火花を受け止め火種に変える炭の一種です。

蒸し炭とも呼ばれます。

焚火などで燃えた木は「オキ」になり、そのまま空気中において置くと灰になってしまいますが、 蓋付きの容器に入れると酸素不足になって、炭素の状態になります。

これが蒸し炭です。

ホクチはどんな 植物からでも作れますが、植物によって火の付き方が異なるため付きやすい種類を選ぶ必要があります。

火打金が使用されていた時代は、蒲(ガマ)の穂、コケ、モグサ、樹ではスギ、ブナなどの朽木から火口を作っていました。

これらを火口として使用できる状態にするには 一工夫必用です。

朽木は蒸し炭にする前に乾燥させます。

下は蒲の穂の写真です。

湿地帯に生える植物です。

ガマの穂などの火口は火花の付を良くするために、硝酸を入れて加工します。

また火口は湿っていては火種が出来ないため、乾燥に 大変気を使う必要があります。

硝酸カリウムは爆薬の原料となるので、今は薬局でも買えません。

許認可が申請で、また使用目的や使用量の管理も義務つけられています。

火種から炎へ 付け木とは、ヒノキやスギを薄く削った「ヘギ」の先端に溶かした「硫黄」をつけたもので、引火すると 青い炎が燃え出します。

付け木は一束にして販売され、各家庭の火打箱や付け木箱の中へ小分けにして置かれていました。

下の写真は高崎市石原町の「あかりの資料館」にある昭和初期に実際使われていたものです。

注意事項 眼鏡 火打石で火をつけるときは、眼鏡をかけてください。

普段眼鏡をかけない方は、 サングラスでも、100均で売っている、花粉対策用の眼鏡をご使用下さい。

火打ち金から飛んだ火花が顔に当たることは良くあります。

目に入ったら失明 します。

手袋 火打ち石と火打ち金で指を挟んだり、切ったりすることがあります。

手袋をするこ とをお勧めします。

服装 長袖、長ズボンをお勧めします。

火の粉が飛んだ時、軽いやけどをします。

対象年齢 18歳以上。

それ以下のお子さんは、親が同伴か、教育指導者の指導の下で、 ご利用願います。

・ブランドライセンス情報  (このブランドの全商品とブランド説明を見るにはこちら) 当店はCAMP SMITH(キャンプスミス)の唯一の販売店舗です。

この商品は群馬県高崎市の (株)アルファが商標を持っています。

吉井本家の火打金は墨田区の「伊勢公一商店」のものです。

この商品を開発は(有)ミックスが開発しました。

ご協力頂いた、山口工業「あかりの博物館」指出朋一館長、 群馬県キャンプ協会一級キャンプディレクター丸山博先生、伊勢公一商店牧内和正社長、中嶋義明氏、 等多くの方々の支援の下に開発できましたことを感謝しています。

P,R=J  

楽天で購入2,916円(税込み)

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